「うし」
内田麟太郎/詩
高畠純/絵
うしがうしろをふりかえると うしがいた
うしのうしろのうしがうしろをふりかえると うしがいた
うしのうしろのうしろのうしがうしろをふりかえると うしがいた
意味のない言葉遊びが続き、ページをめくるたびにとぼけたうしの顔。なーんの意味もない絵本。とぼけたうしの顔が可愛くて、繰り返しの音のリズムが心地よく、こどもも楽しみやすい絵本かもしれません。
世間にはたくさんの絵本があって、人生の教訓を教えてくれるものもあれば、トイレトレーニングのために開発された絵本なんてものもあります。けれど僕は、こういう意味のない絵本が好きです。深い世界観やあたたかさを感じさせてくれる絵本も大好きですが、絵本の真骨頂って、こういう無意味さにある気がしています。
意味のないものを、あってもなくてもいいものを、わざわざ時間を割いて、自分のために読んでくれている。そんな無駄こそこどもにとっては贅沢で、豊かな時間な気がするのです。
こどもって、大人が理解できない絵本を好きになったり、少し読んだだけで次の絵本を取りに行ったり、何ページも一気にめくったり、大人が「これ読んでる意味あるの?」と思ってしまうようなことが少なくないかもしれません。けれど、そんな無駄にこそ、無意味さにこそ、こどもにとっては贅沢が詰まっているような気がします。そんな無駄のために、付き合ってくれる人がそこにはいるんですから。それがそのまま、それだけ自分が大切にされている安心感につながるように思うのです。
「うし」を読むと、あまりにもバカバカしくて、あまりにもうしの顔がのんきで、ふふっと笑ってしまいます。そのバカバカしさが、とても大事な気がします。そのバカバカしさを、愛おしく思えたらステキだなって思います。
(若院)
※今月は出産で若坊守が里帰り中のため、若院による絵本の紹介でした。