のんのんひろばってなに?

子育てってとっても大変。 悩むこともあるし、しんどくなることもある。 そんなお母さんやお父さんたちが、ちょっとほっこり、一息つける場所をと思い、 「のんのんひろば」を開催することにしました。 仏さまがおられる本堂で、気分転換してみませんか。 ま...

2020年9月21日月曜日

絵本紹介「わらうほし」

 

「わらうほし」
荒井良二


 僕は荒井良二さんの絵本が大好きです。今回はせっかくなので、若坊守が紹介しなさそうな絵本を選びました。

 荒井良二さんの絵本って、陰と陽が入り混じったような混沌とした世界観だったり、深〜い人生観みたいなものを感じるものがあったりもするんですが、この絵本はただただみんながわらう様子が描かれているという、ただそれだけの絵本です。
 わらう山がいて、わらう人がいて、わらうお家があって、わらう雲がいる。途中で雨が降ってくるシーンがあります。「あ、あめです、、、」と、少し時間が止まるような言葉があって、どうなるんだろう、、、と心配になりながらページをめくると、やっぱりあめも笑っていました。

 荒井良二さんには、世界はこんなふうに見えているんだなって想像しながら絵本をめくると、荒井良二さんの世界観が僕の中にも流れ込んできます。雨は憂鬱。雨は悲しい。そんな僕の固定観念は隅に押し寄せられて、雨って笑ってるんだ。と、雨の見方が変わります。

 絵本を読むときは、自分の価値観に合うかどうかだけでなく、作者の世界観、見方に思いを寄せながら楽しんでみたいものです。絵本の世界観が自分の中に流れ込み、世界の見え方を変えてくれるかもしれませんよ。
 僕にとっては、荒井良二さんの絵本はそれです。そういう作家さんや絵本に出会えると、人生が少し豊かになる気がしています。



(若院)
※今月は出産で若坊守が里帰り中のため、若院による絵本の紹介でした。

絵本紹介「うし」

 

「うし」
内田麟太郎/詩
高畠純/絵

 うしがうしろをふりかえると うしがいた
 うしのうしろのうしがうしろをふりかえると うしがいた
 うしのうしろのうしろのうしがうしろをふりかえると うしがいた


 意味のない言葉遊びが続き、ページをめくるたびにとぼけたうしの顔。なーんの意味もない絵本。とぼけたうしの顔が可愛くて、繰り返しの音のリズムが心地よく、こどもも楽しみやすい絵本かもしれません。

 世間にはたくさんの絵本があって、人生の教訓を教えてくれるものもあれば、トイレトレーニングのために開発された絵本なんてものもあります。けれど僕は、こういう意味のない絵本が好きです。深い世界観やあたたかさを感じさせてくれる絵本も大好きですが、絵本の真骨頂って、こういう無意味さにある気がしています。

 意味のないものを、あってもなくてもいいものを、わざわざ時間を割いて、自分のために読んでくれている。そんな無駄こそこどもにとっては贅沢で、豊かな時間な気がするのです。
 こどもって、大人が理解できない絵本を好きになったり、少し読んだだけで次の絵本を取りに行ったり、何ページも一気にめくったり、大人が「これ読んでる意味あるの?」と思ってしまうようなことが少なくないかもしれません。けれど、そんな無駄にこそ、無意味さにこそ、こどもにとっては贅沢が詰まっているような気がします。そんな無駄のために、付き合ってくれる人がそこにはいるんですから。それがそのまま、それだけ自分が大切にされている安心感につながるように思うのです。

 「うし」を読むと、あまりにもバカバカしくて、あまりにもうしの顔がのんきで、ふふっと笑ってしまいます。そのバカバカしさが、とても大事な気がします。そのバカバカしさを、愛おしく思えたらステキだなって思います。


(若院)
※今月は出産で若坊守が里帰り中のため、若院による絵本の紹介でした。

9月のお話(預かりもの)

 先月、娘が産まれて親になりました。

 若坊守が妊娠中、グニャグニャと想像していた以上にダイナミックに動くお腹を見ていると、とっても不思議な感覚になりました。

 この子は今確かに生きている。でも、まだ産まれていない。それっていったい、どういうことなんだろう?今、この子が生きていることは間違いない。でも、産まれてはいない。この世には生を受けている。でも、産まれてはいない。・・・うーん、これはいったいどういう状況なんや???と、頭にはたくさんの「?」マーク。

 この子は今人間だよな。でも、お腹の中に生を受けた最初の頃って単細胞生物のようだったり、魚類っぽかったりするんだよな。じゃあ、この子はいつ人間になったんだろう。生を受けるっていったいなんなんだろう。生きるとか、産まれるとか、いったいどういうことなんだろう。
 間違いなく今生きていて、動いているお腹の中のこどもの様子を見ながら、間違いなく今生きている自分のいのちに思いを馳せながら、それがいったいどういうことなのかわからないという、なんだかよくわからない感覚になりました。

 我が子を手に抱いていると、とっても可愛く、愛おしく、幸せな時間が流れます。けれど、自分の子という感覚がいまいちありません。母親からは、それはあんたが子育てをまだしてないからだ。関わる時間が少ないからだ、と言われます。

 まぁ、そうなんだろうなあ、とぼんやり思いながらも、「でも待てよ、本当は、自分のところに生まれてきてくれたけれど、自分の子ではないのかもしれないぞ。我が子という方が本当ではなくて、僕のこの感覚の方が本当なのかもしれないぞ。」とも思いました。


 子は授かりものと言いますが、子は「預かりもの」とも言うそうです。仏さまからの、預かりもの。神様や、世間からの預かりもの、という言い方もできるかもしれません。今日のんのんひろばに来てくれたお母さんからは、「7歳までは神様の子として育てなさい」と何かで読んだことがある、と教えてもらいました。
 自分の子どもと思っているけれど、いのちって実はそんな小さな枠に当てはめられない、大きな大きなものであるように思います。それはわが子だけでなく、自分のいのちについても。

 「自分のいのち」と、「自分」という枠にはめ込んでいるけれど、実はそんな枠にはおさまりきらない、大きな大きなうねりと営みの中の一つの流れのような、切り取ることのできないものがいのちなのかなぁ。なんて、そんなことを思います。だからこそ、生きるとか死ぬとか、生まれるっていうことって、実はあやふやで、定義しようとしてもできないのかもしれません。

 この子は仏さまからの預かりもの。そんな気持ちで、子育てしていきたいなって思いました。けれどもきっと、日が経つにつれ、「自分の子」という枠にはめ込んで、私物化してしまうようになるんだろうなって気がします。他人の子だったらゆったりのんびり見ていられることが、わが子になればそれがとっても難しいんだろうなって、思います。「他の子はともかく、この子にだけはこうなってほしい。」とかなんとか、、、


 なので僕は、皆さんにたくさん育ててもらおうって思います。その分僕は、皆さんのお子さんに一人の大人として、子育てしたいなって思います。もちろん、他人に出来ることなんてたかが知れているし、親にしかできないこと、言えないこともたくさんあります。けれど、お互いさんに出来ることはできるだけ、お互いさんにやりあえたらなと思うのです。少なくとも、こののんのんひろばはそういう場所にしたいなって思っています。

 今日来てくれていたお母さんが帰り際に、「私も最初はそういう気持ちやったけど、今日の話聞いて昔のこと思い出したわ。」とおっしゃっていました。こうやってこどもの世代が違う親同士が交流できる場って、とっても大事な気がします。でも実は、世間ではそういうコミュニティってあんまりないかもしれません。のんのんひろばがそういう場になればいいな、とも思ったことでした。
 お子さんが小さい方も、大きい方も、子育てに頑張る人、疲れた人は誰でも、ふっと一息つきにのんのんひろばに遊びに来てください。

 


 いろいろと話がごちゃごちゃとしちゃいましたが、いのちってなんなんだろう。生まれるって、生きるってなんなんだろうってことを思ったというお話でした。
 それを教えてくれているのが仏教なんだと思うのです。これからも、つたないながらも仏さまの前でほっこりのんびりできる空間を持ちたいなって思います。




(若院)

月光(がっこう)16号

 アップするのが遅くなりましたが、月光(がっこう)16号です。

セミのお話にしたので、ちょっと季節外れです💦が、よかったら読んでください。



2020年9月14日月曜日



若坊守の出産で8月はおやすみしていたのんのんひろばですが、9月は開催します!

気持ちのいい季節になってきました。お寺の本堂で、ちょっとほっこりしてみませんか??

9月の開催日は21日(月祝)です。



【対象】
子育てに悩んでいたり、ちょっと一息つきたいお母さんなど保護者さん
※お子様連れでもかまいません

【日時】
9月21日(月祝)
a.m. 10:00 〜11:30

【内容】
仏さまのお話(10分ほど)
のんびりする時間(1時間ほど)
絵本の紹介(10分ほど)

【参加費・申し込み】
必要ありません

【場所】
浄光寺(東近江市甲津畑町1245)
※駐車場あります。
https://goo.gl/maps/hDQiAxBQzDZwUtE76

【お問い合わせ先】
0748−27−1617(浄光寺)