のんのんひろばってなに?

子育てってとっても大変。 悩むこともあるし、しんどくなることもある。 そんなお母さんやお父さんたちが、ちょっとほっこり、一息つける場所をと思い、 「のんのんひろば」を開催することにしました。 仏さまがおられる本堂で、気分転換してみませんか。 ま...

2019年10月15日火曜日

絵本紹介「ネコリンピック」



「ネコリンピック」
さく ますだ みり      え ひらさわ いっぺい
ネコリンピックに参加するネコたちはみんな自由。よーいどん、で走らなくていいし、ぐるぐるまわってまた最初からでもいい。
とらわれない、のびのびとした、生き方を教えてくれる一冊です。
ぜひ、頑張っている大人に読んでほしい絵本です🌱

絵本紹介「だるまちゃんとてんぐちゃん」



「だるまちゃんとてんぐちゃん」
加古里子 さく え
だるまちゃんは、てんぐちゃんの持っているものが欲しい。
大きなだるまどんにお願いをして、色んなものを用意してもらいますが、気に入らない。
これじゃないよーと、わがままをいったりしながら、閃きとアイデアで、ご機嫌なるだるまちゃんです。

大人って子どものことを考えてあれやこれやと、手をつくしますが、子どもにとってそれが、必要なことかどうかはわかりません。
だけど、話を聞いて、一緒に考えてくれる大人がいるということは、必要なことです。
子どものためにやっていることが、合っているのかどうか、わからないけれど、今一生懸命にやっている、あなたがいることは、すごく意味のあることだと思います🙌

10月のお話(ひとりぼっち)


 仏説無量寿経というお経の中に、「世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死に、独り去り独り来る。」という言葉があります。愛したり、愛されたり、憎んだり、憎まれたり、いろんな感情うずまく世間の中を生きている私たちだけれど、生まれてくるときも独り、死んでいくときも独り、去るときも来るときも、人はいつだって独りだ。というのが、この言葉の意味です。
 僕が初めてこの言葉を知ったとき、仏教はなんて救いのないことを言うんだろう。なんて寂しい宗教なんだろう。と思いました。

 最近、重松清さんの「青い鳥」という小説を読みました。これは短編小説集でいくつかの物語があるんですが、そのどの物語にも「村内先生」という先生が出てきます。この先生は吃音、いわゆるどもる先生で、カ行とタ行、そして濁音がすんなり言えません。「ぼぼぼ、ぼ、ぼぼぼくの名前は村内でで、です。どどどど、どうぞよろしく。」といったぐあい。国語の教師なのにどもるものだから、生徒からは笑われ、馬鹿にされています。見た目もパッとしないおじさんで、髪の毛はボサボサで少し薄く、いつもヨレっとした背広を着ています。産休や病気で休んでいる先生の代わりの臨時の先生なのですが、村内先生は職員室でも浮いているような、いつもひとりぼっちでいるような先生でした。

 吃音の村内先生が話すときはいつも真剣で、大切なことしか言いません。村内先生はそれぞれの物語の中で、周りと馴染めない生徒の孤独や悲しみに気が付き、そっと寄り添います。生徒にお説教したり、諭したりすることはせず、「さみしいよなあ」と、ただそっとそばに立ちます。そして休職中の先生が帰ってくると、また次の街へ行ってしまいます。

 この村内先生が生徒のそばに立つ時にはぴったりそばにというよりかは、少し距離があり、けれど手と声の届く距離でした。その距離感が僕にはとっても優しく感じられました。村内先生自身も孤独と悲しみを抱えているような雰囲気が感じられ、どこか寂しく、でもだからこそ、孤独で寂しい生徒たちが孤独から癒されていくのだなぁと、なんだか納得もできました。孤独を感じ、惨めな思いに涙しているとき、元気で順風満帆に見える人に慰められると、余計に惨めで寂しくなることって、ある気がします。

 村内先生が、あるお話の中でこんなことを言います。



ひとりぼっちが二人いれば、それはもう、ひとりぼっちじゃないんじゃないか、って先生は思うんだよなあ。

先生は、ひとりぼっちの。子の。そばにいる、もう一人の、ひとりぼっちになりたいんだ。だから、先生は、先生をやってるんだ。



 人は孤独だ、という仏教の言葉が、全然違った意味を帯びて響きます。
「私もひとりだった。孤独だった。寂しいよなあ。悲しいよなあ。でも、あなただけじゃないよ。私も、ひとりだったんだ。みんな、ひとりなんだ。ひとりぼっちなのは、あなただけじゃないんだよ。」

 仏様はなんて悲しい事を言うんだと昔は思ったその同じ言葉は、やっぱり私たちの孤独を、寂しさを癒し、和らげるためのものだったのだと、今では思うようになりました。とてもあたたかな言葉だと、味わっています。

 人に分かってもらえないことがあると、近しい人であればあるほど、なんでわかってくれないの!という思いは強まります。人の苦しみを分かってあげられないときも、人は孤独だということを思い知らされます。そんなとき、ひとりだけれど、ひとりじゃない。孤独だけれど、それは私だけじゃない。仏様ほどの人だって、ひとりだったんだ。そんな思いが、そっと心を和らげてくれる気がしています。
 「独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)」孤独を感じたとき、思い出してみてください。








(若院)