仏教には、人生を軽やかに、そして力強く生きていく智慧がたくさん詰まっています。のんのんひろばでは、毎回そんな仏教のお話を少しずつですがしていきたいなと思っています。仏教のお話を聞いて、世間や常識とはちょっと違う視点で物事が見れるようになると、受け止め方もまた違ってくるかもしれません。
記念すべきのんのんひろば第一回目の今日は、「ひび割れ壺」というお話。
インドの昔話に、「ひび割れ壺」というお話があります。昔のインドはカースト制度によって仕事が細かく決められていました。靴を磨く人は靴を磨く以外の仕事はできません。ヒゲを剃る人はヒゲを剃るだけ。
あるお屋敷に、毎日生活で使う水を汲むことが仕事の水汲み人がおりました。長い天秤棒の両端に大きな水瓶をぶら下げて、毎日お屋敷から遠く離れた川まで水を汲みに行きます。
片方の壺は完璧な壷。毎日たっぷりの水を運ぶことができましたが、もう一方の壷には大きなヒビが入っていました。どんなに水汲み人が一生懸命水を入れて歩いても、お屋敷に着く頃にはひび割れ壷の水はほとんどこぼれてしまっているのでした。ひび割れ壷はそんな自分が惨めで、情けなく、また水汲み人に大変申し訳ないと思っていました。
ある日、水汲み人が木陰で休憩している時に、ひび割れ壷は水汲み人に話しかけました。「水汲み人さん、ごめんなさい。もう一方の完璧な壷はたくさんの水を運ぶことができるのに、私には大きなヒビが入っているせいで、お屋敷に着く頃にはほとんど水が残っていません。あなたがどれだけたくさん水を入れてくれても、一生懸命歩いてくれても、私にはたくさんの水を運ぶことができません。私はそれが情けなくて、恥ずかしくて、そしてあなたに申し訳がありません。」それを聞いた水汲み人は、こんなふうに返しました。「あなたは、川からお屋敷の間に綺麗に花が咲いているのに気がついていますか。気がついていないのなら、これからお屋敷までの道でごらんなさいな。」
水汲み人が歩き始めた時、ひび割れ壷が下を見てみると、確かに綺麗に花が咲いていました。花はまるで一本道のように、川からお屋敷まで線のように咲いています。それも、道の片方側にだけ。それを見てひび割れ壷は少し気持ちがほっこりしましたが、お屋敷に着くとやっぱり水はほとんど残っていません。また、悲しい気持ちになりました。すると、今度は水汲み人がこんなふうに声をかけました。
「ひび割れ壺よ、私はあなたに大きなヒビが入っていることに初めから気がついていました。だから私は、川からお屋敷の間に花の種を蒔きました。この種を芽吹かせ、花開かせたのは、ひび割れ壺よ、あなたです。あなたから滴る水によってこの種は芽吹き、花開いたのです。私は毎日この花を摘んでご主人様の食卓にお届けしています。あなたがあなたのままでなかったならば、ご主人様の食卓を美しい花で彩ることはできなかったのですよ。」その言葉を聞いて、ひび割れ壷はピンっと背筋を伸ばしました。
「ひび割れ壷」というお話です。私たちは誰しも、数の多い少ない、大きさは違えど、みんなヒビを抱えています。人と比べて自分を惨めに思ったり、また大きなヒビを抱える人を見て馬鹿にしたりもします。けれど、仏様はそんなヒビを欠点とは見ておられません。あるべきところであるべき働き方をすれば、そのヒビは素晴らしい長所になる。そういう智慧を悟った方が仏様です。
「この欠点は長所なんだ」と自分がいくら胸を張ってみても、世間では通用しないかもしれません。仏法を聞いても、ヒビがすぐさまなくなるわけではありません。けれど、そのヒビを仏様は欠点とは見ておられない。そのヒビはとても素晴らしい個性だよ、長所になるよ、と見ておられる。そんなふうに物事を捉えてみると、ちょっと見え方も違ってくるんじゃないかなぁ、と思います。
今日のお話は、「ひび割れ壷」というお話でした。
(若院)