祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
平家物語の冒頭の言葉で有名な「諸行無常」というこの言葉。これは仏教の言葉です。
今日は、そんな諸行無常ということについて。
諸とは「すべての」という意味、行とはここでは「もの」を指し、諸行とは「すべてのもの」を意味します。常には「ひとときも途切れることなく、ずーーっと」という意味があり、無は否定語です。つまり、諸行無常とは「すべてのものはずっと存在することはできない。すべてのものは変化し続けている。」という意味です。
平家物語の物悲しさも相まって、諸行無常と聞けばなんだか寂しい響きがします。人は必ずいのち終えてゆかねばならないし、どんなに大切なものであっても、いつかは朽ちたり壊れてその形を崩してしまいます。だからこそ、今を大切に生きないといけない、ものを大切にしなければいけない、そんな教えが、きっとこの諸行無常という言葉には込められています。
どれだけ可愛くて、手元に置いておきたくても、こどもはいずれ幼児園や学校に行く時が来ます。だから、一緒にいられる今を大切にしなさいよ、と私たちが見落としてしまいがちな今この瞬間の尊さを、仏様はもっともっとよく知りなさいとおっしゃっているのかもしれません。
そしてこの諸行無常という言葉はまた、変化してゆくこれからの未来を教えてくれている言葉でもあります。
すべてのものは変化し続けている。移ろい変わり続けている。だから、嫌なことやしんどい状況も、ずっとずっと続くわけではありません。好きになれない今の自分や我が子の嫌な部分が、ずっとずっと続くわけでもありません。すべては無常。だから、私たちは成長することができる。それも、諸行無常です。
まわりの子たちはつたい歩きを始めているのに、なんでうちの子はハイハイしかしないんだろう、と、不安になることもあるかもしれません。なんでこんなにイライラ怒ってしまうんだろうと、自分を情けなく思うこともあるかもしれません。でも、それもずっと続くわけではありません。こどもがずっとずっとハイハイしているということもなければ、ずっとイライラし続けていられるわけでもありません。すべてのものが、無常です。
そうは言っても、人間なかなかすぐに変われるものでもありません。すぐに状況がよくなるわけでもありません。けれど一度気晴らしに、辛い時やしんどい時、「諸行無常、諸行無常、、、」と唱えてみてはどうでしょう。思い通りいかない現実の中に、キラッと一粒愛おしさが光って見えてくるかもしれません。
諸行無常、かけがえのない今と、無限の可能性が広がる未来を知らせる仏さまの言葉。このブログも、ずっと続けられるわけではないのかな。書けない月も、あるのかも。でも、だからこそ、こうして書いていられるうちだけでも精一杯、書いていたいなと思います。
今月は、諸行無常についてのお話でした。
(若院)