のんのんひろばってなに?

子育てってとっても大変。 悩むこともあるし、しんどくなることもある。 そんなお母さんやお父さんたちが、ちょっとほっこり、一息つける場所をと思い、 「のんのんひろば」を開催することにしました。 仏さまがおられる本堂で、気分転換してみませんか。 ま...

2019年12月16日月曜日

2019年11月15日金曜日

2019年11月14日木曜日

11月のお話(諸行無常)

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 平家物語の冒頭の言葉で有名な「諸行無常」というこの言葉。これは仏教の言葉です。
今日は、そんな諸行無常ということについて。


 諸とは「すべての」という意味、行とはここでは「もの」を指し、諸行とは「すべてのもの」を意味します。常には「ひとときも途切れることなく、ずーーっと」という意味があり、無は否定語です。つまり、諸行無常とは「すべてのものはずっと存在することはできない。すべてのものは変化し続けている。」という意味です。


 平家物語の物悲しさも相まって、諸行無常と聞けばなんだか寂しい響きがします。人は必ずいのち終えてゆかねばならないし、どんなに大切なものであっても、いつかは朽ちたり壊れてその形を崩してしまいます。だからこそ、今を大切に生きないといけない、ものを大切にしなければいけない、そんな教えが、きっとこの諸行無常という言葉には込められています。
 どれだけ可愛くて、手元に置いておきたくても、こどもはいずれ幼児園や学校に行く時が来ます。だから、一緒にいられる今を大切にしなさいよ、と私たちが見落としてしまいがちな今この瞬間の尊さを、仏様はもっともっとよく知りなさいとおっしゃっているのかもしれません。


 そしてこの諸行無常という言葉はまた、変化してゆくこれからの未来を教えてくれている言葉でもあります。
 すべてのものは変化し続けている。移ろい変わり続けている。だから、嫌なことやしんどい状況も、ずっとずっと続くわけではありません。好きになれない今の自分や我が子の嫌な部分が、ずっとずっと続くわけでもありません。すべては無常。だから、私たちは成長することができる。それも、諸行無常です。

 まわりの子たちはつたい歩きを始めているのに、なんでうちの子はハイハイしかしないんだろう、と、不安になることもあるかもしれません。なんでこんなにイライラ怒ってしまうんだろうと、自分を情けなく思うこともあるかもしれません。でも、それもずっと続くわけではありません。こどもがずっとずっとハイハイしているということもなければ、ずっとイライラし続けていられるわけでもありません。すべてのものが、無常です。



 そうは言っても、人間なかなかすぐに変われるものでもありません。すぐに状況がよくなるわけでもありません。けれど一度気晴らしに、辛い時やしんどい時、「諸行無常、諸行無常、、、」と唱えてみてはどうでしょう。思い通りいかない現実の中に、キラッと一粒愛おしさが光って見えてくるかもしれません。

 諸行無常、かけがえのない今と、無限の可能性が広がる未来を知らせる仏さまの言葉。このブログも、ずっと続けられるわけではないのかな。書けない月も、あるのかも。でも、だからこそ、こうして書いていられるうちだけでも精一杯、書いていたいなと思います。

今月は、諸行無常についてのお話でした。



(若院)

2019年11月6日水曜日

絵本紹介 「もりのえほん」



「もりのえほん」
安野光雅

もりの風景の中をよくみると、動物たちがたくさん隠れています。
大人がはまって、時間をかけて探したくなります。
また安野光雅さんは、「旅の絵本」も描いておられます。一見風景のみが続くようにみえますが、たくさんのグリム童話などのストーリが隠されています。
ひとつ見つけると、隅々まで読み返したくなる絵本です😃

絵本紹介「りんごのきに こぶたがなったら」



「りんごのきに こぶたがなったら」
さく アーノルド・ローベル
え アニタ・ローベル
訳  佐藤 涼子

「がまくんとかえるくん」を書いたひとの絵本です。
なまけものの旦那さんが、あれこれ理由をつけてはこぶたのお世話をさぼります。奥さんは、あれこれ考えて、旦那さんをやる気にさせます。ちょっと面白くて、ふふっと笑ってしまう絵本です。
旦那さんのことに限らず、日常のちょっとした、だけど大きな悩みを、ちょっとばかばかしく、ちょっと面白く、捉えられたら、少し楽しいかもしれない。
自分の日常を、どう過ごすかを考えてほしいなぁと思う一冊です。

2019年10月19日土曜日

2019年10月15日火曜日

絵本紹介「ネコリンピック」



「ネコリンピック」
さく ますだ みり      え ひらさわ いっぺい
ネコリンピックに参加するネコたちはみんな自由。よーいどん、で走らなくていいし、ぐるぐるまわってまた最初からでもいい。
とらわれない、のびのびとした、生き方を教えてくれる一冊です。
ぜひ、頑張っている大人に読んでほしい絵本です🌱

絵本紹介「だるまちゃんとてんぐちゃん」



「だるまちゃんとてんぐちゃん」
加古里子 さく え
だるまちゃんは、てんぐちゃんの持っているものが欲しい。
大きなだるまどんにお願いをして、色んなものを用意してもらいますが、気に入らない。
これじゃないよーと、わがままをいったりしながら、閃きとアイデアで、ご機嫌なるだるまちゃんです。

大人って子どものことを考えてあれやこれやと、手をつくしますが、子どもにとってそれが、必要なことかどうかはわかりません。
だけど、話を聞いて、一緒に考えてくれる大人がいるということは、必要なことです。
子どものためにやっていることが、合っているのかどうか、わからないけれど、今一生懸命にやっている、あなたがいることは、すごく意味のあることだと思います🙌

10月のお話(ひとりぼっち)


 仏説無量寿経というお経の中に、「世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死に、独り去り独り来る。」という言葉があります。愛したり、愛されたり、憎んだり、憎まれたり、いろんな感情うずまく世間の中を生きている私たちだけれど、生まれてくるときも独り、死んでいくときも独り、去るときも来るときも、人はいつだって独りだ。というのが、この言葉の意味です。
 僕が初めてこの言葉を知ったとき、仏教はなんて救いのないことを言うんだろう。なんて寂しい宗教なんだろう。と思いました。

 最近、重松清さんの「青い鳥」という小説を読みました。これは短編小説集でいくつかの物語があるんですが、そのどの物語にも「村内先生」という先生が出てきます。この先生は吃音、いわゆるどもる先生で、カ行とタ行、そして濁音がすんなり言えません。「ぼぼぼ、ぼ、ぼぼぼくの名前は村内でで、です。どどどど、どうぞよろしく。」といったぐあい。国語の教師なのにどもるものだから、生徒からは笑われ、馬鹿にされています。見た目もパッとしないおじさんで、髪の毛はボサボサで少し薄く、いつもヨレっとした背広を着ています。産休や病気で休んでいる先生の代わりの臨時の先生なのですが、村内先生は職員室でも浮いているような、いつもひとりぼっちでいるような先生でした。

 吃音の村内先生が話すときはいつも真剣で、大切なことしか言いません。村内先生はそれぞれの物語の中で、周りと馴染めない生徒の孤独や悲しみに気が付き、そっと寄り添います。生徒にお説教したり、諭したりすることはせず、「さみしいよなあ」と、ただそっとそばに立ちます。そして休職中の先生が帰ってくると、また次の街へ行ってしまいます。

 この村内先生が生徒のそばに立つ時にはぴったりそばにというよりかは、少し距離があり、けれど手と声の届く距離でした。その距離感が僕にはとっても優しく感じられました。村内先生自身も孤独と悲しみを抱えているような雰囲気が感じられ、どこか寂しく、でもだからこそ、孤独で寂しい生徒たちが孤独から癒されていくのだなぁと、なんだか納得もできました。孤独を感じ、惨めな思いに涙しているとき、元気で順風満帆に見える人に慰められると、余計に惨めで寂しくなることって、ある気がします。

 村内先生が、あるお話の中でこんなことを言います。



ひとりぼっちが二人いれば、それはもう、ひとりぼっちじゃないんじゃないか、って先生は思うんだよなあ。

先生は、ひとりぼっちの。子の。そばにいる、もう一人の、ひとりぼっちになりたいんだ。だから、先生は、先生をやってるんだ。



 人は孤独だ、という仏教の言葉が、全然違った意味を帯びて響きます。
「私もひとりだった。孤独だった。寂しいよなあ。悲しいよなあ。でも、あなただけじゃないよ。私も、ひとりだったんだ。みんな、ひとりなんだ。ひとりぼっちなのは、あなただけじゃないんだよ。」

 仏様はなんて悲しい事を言うんだと昔は思ったその同じ言葉は、やっぱり私たちの孤独を、寂しさを癒し、和らげるためのものだったのだと、今では思うようになりました。とてもあたたかな言葉だと、味わっています。

 人に分かってもらえないことがあると、近しい人であればあるほど、なんでわかってくれないの!という思いは強まります。人の苦しみを分かってあげられないときも、人は孤独だということを思い知らされます。そんなとき、ひとりだけれど、ひとりじゃない。孤独だけれど、それは私だけじゃない。仏様ほどの人だって、ひとりだったんだ。そんな思いが、そっと心を和らげてくれる気がしています。
 「独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)」孤独を感じたとき、思い出してみてください。








(若院)

2019年9月27日金曜日

絵本紹介「はじめてのおつかい」

「はじめてのおつかい」
作 筒井頼子    絵 林明子    福音館書店

私は小さい頃から、この絵本が大好きです。
小さいときに大好きだった絵本って、一人一人あるんじゃないでしょうか。
自分の子どもに読んであげるとき、「これはね、お母さんの大好きな絵本なんだよ。」って言うだけで、伝わり方が違うと思います。
絵本は、親子で幸せを共有する時間をつくってくれます。
ぜひ、お母さんの大好きな絵本を読んであげて、一緒に幸せな気持ちを感じてください。

絵本紹介「わたしのひみつ」

「わたしのひみつ」
作   石津ちひろ     絵   きくちちき

私は苦手なことがたくさんあるし、みんなは出来るのに、私だけ出来ないこともある。
でも、私には得意なことも、私にしか出来ないこともある。
みんなから見たら、変かもしれないけど、大きな絵をかけることも、ありと話せることも、私は自信を持って出来るといえる。
小さな女の子が主人公ですが、大人の人も、自分事として見てもらえるといいなぁと思います。
自分の魅力、いくつ言えますか?

2019年9月25日水曜日

10月の開催日

10月の開催日は15日(火)です。


9月のお話(ひび割れ壷)


 仏教には、人生を軽やかに、そして力強く生きていく智慧がたくさん詰まっています。のんのんひろばでは、毎回そんな仏教のお話を少しずつですがしていきたいなと思っています。仏教のお話を聞いて、世間や常識とはちょっと違う視点で物事が見れるようになると、受け止め方もまた違ってくるかもしれません。

 記念すべきのんのんひろば第一回目の今日は、「ひび割れ壺」というお話。

 インドの昔話に、「ひび割れ壺」というお話があります。昔のインドはカースト制度によって仕事が細かく決められていました。靴を磨く人は靴を磨く以外の仕事はできません。ヒゲを剃る人はヒゲを剃るだけ。
 あるお屋敷に、毎日生活で使う水を汲むことが仕事の水汲み人がおりました。長い天秤棒の両端に大きな水瓶をぶら下げて、毎日お屋敷から遠く離れた川まで水を汲みに行きます。
 片方の壺は完璧な壷。毎日たっぷりの水を運ぶことができましたが、もう一方の壷には大きなヒビが入っていました。どんなに水汲み人が一生懸命水を入れて歩いても、お屋敷に着く頃にはひび割れ壷の水はほとんどこぼれてしまっているのでした。ひび割れ壷はそんな自分が惨めで、情けなく、また水汲み人に大変申し訳ないと思っていました。
 ある日、水汲み人が木陰で休憩している時に、ひび割れ壷は水汲み人に話しかけました。「水汲み人さん、ごめんなさい。もう一方の完璧な壷はたくさんの水を運ぶことができるのに、私には大きなヒビが入っているせいで、お屋敷に着く頃にはほとんど水が残っていません。あなたがどれだけたくさん水を入れてくれても、一生懸命歩いてくれても、私にはたくさんの水を運ぶことができません。私はそれが情けなくて、恥ずかしくて、そしてあなたに申し訳がありません。」それを聞いた水汲み人は、こんなふうに返しました。「あなたは、川からお屋敷の間に綺麗に花が咲いているのに気がついていますか。気がついていないのなら、これからお屋敷までの道でごらんなさいな。」
 水汲み人が歩き始めた時、ひび割れ壷が下を見てみると、確かに綺麗に花が咲いていました。花はまるで一本道のように、川からお屋敷まで線のように咲いています。それも、道の片方側にだけ。それを見てひび割れ壷は少し気持ちがほっこりしましたが、お屋敷に着くとやっぱり水はほとんど残っていません。また、悲しい気持ちになりました。すると、今度は水汲み人がこんなふうに声をかけました。
 「ひび割れ壺よ、私はあなたに大きなヒビが入っていることに初めから気がついていました。だから私は、川からお屋敷の間に花の種を蒔きました。この種を芽吹かせ、花開かせたのは、ひび割れ壺よ、あなたです。あなたから滴る水によってこの種は芽吹き、花開いたのです。私は毎日この花を摘んでご主人様の食卓にお届けしています。あなたがあなたのままでなかったならば、ご主人様の食卓を美しい花で彩ることはできなかったのですよ。」その言葉を聞いて、ひび割れ壷はピンっと背筋を伸ばしました。

 「ひび割れ壷」というお話です。私たちは誰しも、数の多い少ない、大きさは違えど、みんなヒビを抱えています。人と比べて自分を惨めに思ったり、また大きなヒビを抱える人を見て馬鹿にしたりもします。けれど、仏様はそんなヒビを欠点とは見ておられません。あるべきところであるべき働き方をすれば、そのヒビは素晴らしい長所になる。そういう智慧を悟った方が仏様です。
 「この欠点は長所なんだ」と自分がいくら胸を張ってみても、世間では通用しないかもしれません。仏法を聞いても、ヒビがすぐさまなくなるわけではありません。けれど、そのヒビを仏様は欠点とは見ておられない。そのヒビはとても素晴らしい個性だよ、長所になるよ、と見ておられる。そんなふうに物事を捉えてみると、ちょっと見え方も違ってくるんじゃないかなぁ、と思います。

今日のお話は、「ひび割れ壷」というお話でした。



(若院)

2019年9月10日火曜日

9月の開催日

9月の開催日は25日(水)です。


のんのんひろばってなに?

子育てってとっても大変。
悩むこともあるし、しんどくなることもある。

そんなお母さんやお父さんたちが、ちょっとほっこり、一息つける場所をと思い、
「のんのんひろば」を開催することにしました。

仏さまがおられる本堂で、気分転換してみませんか。

まず仏さまのお話(10分ぐらい)を聞いて、そこからはゆったりのんびり自由時間。
最後に絵本の紹介(10分ぐらい)をしておしまい。

参加費は必要ありません。
申し込みも必要ありません。
お子様連れでもかまいません。

気楽に遊びに来てください。



【対象】
子育てに悩んでいたり、ちょっと一息つきたいお母さんなど保護者さん
※お子様連れでもかまいません

【日時】
a.m. 10:00 〜11:30
開催日はこちらのブログでご確認ください。

【内容】
仏さまの話(10分ほど)
のんびりする時間(1時間ほど)
絵本の紹介(10分ほど)

【参加費・申し込み】
必要ありません

【場所】
浄光寺(東近江市甲津畑町1245)
※駐車場あります。
https://goo.gl/maps/hDQiAxBQzDZwUtE76












【お問い合わせ先】
0748−27−1617(浄光寺)



わかぼーもり(若坊守)のブログもよければご覧ください。
https://jokojiblog.blogspot.com